ノリと勢いで休学したKoichiの自己紹介
初めましてKoichiです。
『ノリと勢いで休学したブログ』へ、ようこそ。
ぼくは今、大学を休学してブログでお金を稼いでいます。
この記事を読んでくれている皆様に、そんなぼくのことをもっともっと詳しく理解してもらえたら嬉しいです。
プロフィール概略
《名前》:Koichi
《年齢》:1997年生まれの20歳
《出身》:埼玉
《性格》:人よりも少し行動力の部分が突出しています。
《趣味》:国内・海外旅行、温泉巡り、ラーメン巡り、筋トレ、漫画、最近はギターを始めました。
《アーティスト》:Suchmos・Perfume・椎名林檎が大好きです。
《漫画》:ワンピース・キングダム・HUNTER×HUNTER・範馬刃牙
《目標》:自分でお金を稼いで彼女と幸せに暮らすマッチョ
《借金》:150万円
《仕事》:大学生向けWebメディア【かれかれ】編集長
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ぼくの経歴
保育園時代
このころのぼくは自分が世界で2番目に強い人間だと本気で思っていました(1番は父親)。
家にあった『刃牙』・『タフ』・『がんばれ元気』を読み倒し、夜は父親とK1のミルコクロコップの試合を見て育ったぼくは自分が強い人間だと思い込んでいたのです。
ですから保育園ではかなり幅をきかせていて、友達が一生懸命作った泥団子を勝手に持って帰り、隣に座っていた女の子の給食を奪ったりやりたい放題の問題児でした。
ぼくの保育園では卒園後に配られるアルバムで「1番仲が良かった友達は?」みたいなコーナーがあるんですが、誰1人ぼくと仲が良かったと答えた子はいませんでした(保育園の時代ですでに友達がいなかったということです)
ぼくの保育園時代はとても悲しいものでした。
小学校低学年時代
自分が世界で2番目に強いと思っていたのは小学校に入ってからも変わらず、小学校1年生の時はクラスの男の子と喧嘩ばかり。
しかもその頃は関節技を覚えていたのでクラスでは最強だった。
しかし小学校1年生の冬に転校することになり、まさかの全く知らない学校へ行くことになりました。
実はこの頃のぼくは緊張とても弱くて、初めての転校が不安で不安で仕方がなかったのを覚えています。
転校して初めての教室に入るときに緊張で泣きそうになり、そこで自分が最強ではないことを実感しました。
小学校高学年時代
小学校も高学年になると、「あれ?俺あんまり身長伸びてなくない?」と感じ始め、気づいたときには背の順で1番前・組体操では1番上に。
実はぼくめちゃめちゃ発育が悪くて、成長期がきたのが高校生の時でした。
この頃から友達がみんな野球をやり始め、ぼくもみんなに置いていかれないようにチームに入ろうと親に頼んだのですが、「金ないからダメ」と断られてしまい個人で練習することに。
本当は野球を習いたかったのですが、仕方なく家で1人素振りをしていました。
中学校時代
ここからぼくの人生の黒歴史、魔の中学校時代に突入していきます。
小学校で野球チームに入れなかった反動もあり、中学生になったら絶対に野球部に入ろうと決めていました。
しかし身長も小さいし、体重も軽いぼくは完全にチキン・リトル状態。
さらに野球も全然センスがなかったので、野球部の先輩たちからのいじめを受けることになります。
そんなぼくでも、中学2年の時に初めての彼女ができました。
まぁ部活動で忙しくて全然デートなどには行けなかったんですけど、それでも何か気分が良くて楽しかったです。
高校生時代
高校に入ると初めての彼女とは別れ、中学から始めた野球を続けることにしました。
勉強はパッとしない成績で、上から数えたほうが早いかな〜ってレベルでした。
野球の方は一時期調子が良くてレギュラーになりかけたのですが、バッティングの調子が悪くなり、さらにイップスで至近距離のボールが投げれなくなる事態に。
最後の大会は監督から「お前には背番号はやらん」と言われ、泣きながら帰ったのを覚えています。(結局背番号はもらえた)
野球部の夏の大会が終わりみんなが受験モードに入る中、ぼくは今までの部活動の反動で「夏休みは遊び倒してやるぞ!」と考えていました。
なんと男女2:2で行った花火大会で巨乳の女の子に告白したところOKがもらえ、2人目の彼女ができました。
毎日その彼女と遊びたくて遊びたくて、全く勉強なんかしていなかったのですが、2週間後に電撃離婚。
フラれた時の元カノのセリフが「毎日会うのはきつい…友達にもどろう」でした。
そこで瞬時にぼくは「逃がした魚は大きかったってことを思い知らせてやるよ!ばぁか!」と思い、死ぬ気で受験勉強を始めました。
大学受験時代
ぼくの大学受験時代はご飯を食べる時も単語帳片手に食べていましたし、最高で1日に16時間勉強した日もありました。
塾では常に自習室の2番の席に座っていたので、他校の生徒から2番と呼ばれていました。
しかし猛勉強の結果、3ヶ月ほどで学校内でTOPの成績を取り、学校史上初の偏差値を叩き出したのでぼくは伝説になりました。
夏休みに考えていた大学には余裕で合格できるようになってしまったので、そこから志望校のレベルをあげることにして、高校の中でも2〜3人しか行けないような大学を視野に入れました。
そして試験ではほとんど全部合格して、かなり嬉しい結果となりましたが、今となっては手段が目的化していたことを後悔しています。
大学時代
大学に入って最初にできた友達に「やっぱりサークルに入らなきゃつまらないでしょ!」と教えられ、とりあえずフットサルのサークルに入りました。
しかしなんか雰囲気が合わずに半年足らずで行かなくなり、大学にあるジムで筋トレを始めました。
その頃から始めた筋トレのおかげで、今ではボディビルの選手と一緒にトレーニングをしたりもします。
そこそこ優秀だったぼくは大学1年・2年と余裕で単位を全部取り終えた段階で、思い切って大学を休学することに決めました。
ここからは大学を休学した理由などを書いていきます。
【人生の夏休み】大学生のうちにやるべき事僕がやってよかった事8選
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大学を休学した理由
ぼくは大学3年生になる前に休学しました。
理由は「ヤベェ。このままダラダラてきとーに卒業して就職しても、何もできない22歳が社会に出て殺されるだけだ…」と思ったからですw
ぼくは休学を決める3ヶ月前まで国家公務員になるために勉強していました。
国家公務員になるための最初の勉強として、経済学を独学で勉強し始めていたのですが、経済学を勉強して行くうちに、お金について自分が何も知らないことに気づいたんです。
「こんなにも身近にあって毎日使っているお金のことをなんで俺は何も知らないんだ?」という疑問を解決したくていつしか国家公務員になるための勉強は、お金を知るための勉強になっていきました。
その時読んだ本が『金持ち父さん貧乏父さん』です。
衝撃的でとても面白い本でした。
『金持ち父さん貧乏父さん』を読んでからぼくの目標は国家公務員から自分で金を稼げる大人になりました。(一丁前にセミリタイアとかも考えていました)
目標が変わってから「このまま大学にいても俺は自分でお金を稼げないただの22歳になっちまう…」という危機感を持ち、「とりあえず大学を休学して、自分で稼げるようになったろ!」と誓いました。
だからぼくはこの1年間で自分で稼げる人間にならなければならないのです。そのためなら何でもするつもりです。
ブログを始めた理由
自分でお金を稼ぐというのは時給や月給などの給与形態ではなく、自分自身で仕事を作り、その仕事の価値の対価としてお金をもらうということです。
例えばアルバイトは時給が決まっています。ものすごく仕事ができても、全然使えなくても時給は同じです。
しかし自分で稼ぐということは自分の頑張り次第でたくさんのお金を稼げる可能性があります。
そこでぼくにもできそうな簡単なビジネスがないか調べました。
それがたまたまブログでした。
ブログならパソコンさえあればすぐに始められますからね。(まぁ当時の僕はパソコンを持っていませんでしたがw)
ですからぼくはブログを書くためだけにわざわざMacBookを購入したのです。
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ブログにおける目標
ぼくは昔から目標を作るときに2つの段階で作ります。
それは大きな目標と小さな目標の2つです。
大きな目標は最終目標で、一般人に「それは無理だろ!」って言われるくらい大きな目標を設定するべきです。
小さな目標は頑張ればギリギリ超えられるくらいの目標を作ります。
ぼくのブログにおける目標は
《大きな目標》:月間100万PV・月間収益100万円
《小さな目標》:月間5万PV・月間収益3万円
かなりてきとーに考えた結果こうなりました。
なのでとりあえずは、この目標を達成するために頑張ろうと思います!やったるで!
それではこれからも『ノリと勢いで休学したブログ』および、Koichiをよろしくお願いします!
またのお越しを。